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【動画】収蔵庫で保管されている法隆寺の焼損壁画=白井伸洋、松井充撮影

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法隆寺の収蔵庫内で保管されている焼損壁画=2025年1月15日、奈良県斑鳩町、白井伸洋撮影

 悠久の時をへて、いにしえから静かにたたずむ奈良・法隆寺。その古式ゆかしい姿をいま目にできるのは、決して偶然ではない。先人が守り継いだ歴史遺産を、私たちはどう後世に手渡すか。文化財防災の原点でもある古刹(こさつ)は、そのヒントを与えてくれる。

 聖徳太子ゆかりの寺として名高い法隆寺の創建は飛鳥時代にさかのぼる。国宝の観音菩薩(ぼさつ)立像(百済(くだら)観音)や玉虫厨子(たまむしのずし)などあまたの寺宝を誇り、1993年には世界最古の木造建築としてユネスコ世界遺産の国内第1号のひとつとなった。が、現在にいたる道のりは平坦(へいたん)ではなかった。

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法隆寺の五重塔(左)と金堂=2025年1月15日、奈良県斑鳩町、白井伸洋撮影

 歴史はときとして、文化的建造物の運命に過酷だ。いくたびもの戦火が木造の堂宇をおびやかし、明治維新期には廃仏毀釈(きしゃく)の嵐が吹き荒れた。それは法隆寺も例外ではない。かの大戦では全国で無数の文化財が焼き払われ、人々は伝統文化という精神のよりどころを失った。

 ようやく戦後の復興に立ち上がった日本に、痛恨の出来事が襲う。法隆寺金堂壁画の焼損である。

 49年1月26日早朝、仏教美術の白眉(はくび)とうたわれた金堂壁画が炎に包まれ、仏たちを飾った鮮やかな色は永遠に失われた。これを機に翌年、議員立法で文化財保護法が成立。そのスピードに世間が受けた衝撃のほどを実感できる。

 国は被災の日を「文化財防火デー」に定め、その機運は全国に広がった。

 一方で、二度と戻らない金堂壁画の記憶を可能な限り残すための不断の努力が続いている。

 朝日新聞社が協力し、安田靫彦(ゆきひこ)や前田青邨(せいそん)ら昭和の画壇を代表する巨匠たちが模写した再現壁画は、68年に金堂に納められた。戦前に撮影された壁画の写真ガラス原板は2015年に重要文化財となり、画像のデジタル化も実現。在りし日の姿をしのぶよすがとして、防災意識の大切さを見る者に訴え続ける。

 そしていま、収蔵庫の奥で眠る焼損壁画の一般公開に向けた取り組みが進む。文化庁と朝日新聞社の協力で設けられた金堂壁画保存活用委員会では、複数のワーキンググループの調査成果をもとに公開実現への議論が交わされてきた。

 「貴重な壁画も焼けてしまうと色を失ってこんな状態になる、だから火は恐ろしいということを見て感じ取ってもらう。そこに意義がある」。焼損壁画の一般公開について、委員長の有賀祥隆・東京芸術大客員教授は、そう語る。

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収蔵庫内で保管されている焼損した1号壁(左)と2号壁=2025年1月15日、奈良県斑鳩町、白井伸洋撮影

 壁画の焼損は取り返しのつかない悲劇だった。それゆえに決して忘れることのできない教訓を社会に刻んだ。それは我が国の文化財防災の起点であり、法隆寺は現代の保護制度の象徴なのである。

 文化財を取り巻く脅威は消えるどころか、むしろ増す一方だ。日本列島では阪神・淡路大震災や東日本大震災、そして昨年の能登半島地震と甚大な被害が相次ぐ。南海トラフ地震の発生も想定されている。

 温暖化や異常気象といった自然災害から日常的な不慮の失火、あるいは文化財を支えてきた地域コミュニティーの衰退まで、歴史遺産を脅かすリスクは多岐にわたる。では、それらへの備えが十全かといえば、誰も首肯できない。

 この現実に、朝日新聞社は文化財防災への積極的な取り組みをスタートさせる。その足がかりが法隆寺。先人の知恵と思いが凝縮された古刹のあゆみに、私たちも名を連ねよう。文化財の未来のために。

高妻洋成・国立文化財機構文化財防災センター長の話

 法隆寺の金堂壁画には、焼損してなお文化財としての大きな価値がある。現状は変わってしまったけれど、それが持つ歴史的価値、美術的価値は残っているのです。考古遺物だって、さびたりして元のままではない。金堂壁画は焼けたといっても、いまもかつての図像をうかがえるのですから。

 被災の履歴や痕跡を見てもらうことは、人々に防災意識を伝える力になる。文化財を大事にしなくてはという新たな価値と役割が加えられたのです。もし金堂壁画がまったくなくなっていたら、いまの文化財保護制度はあったでしょうか。残っているからこそ、私たちは原点に立ち返れるのです。

 文化財を傷つけることなく、非破壊分析でいろいろなことがわかる時代になりました。どんな材料が使われているか。物質は火を受けて、どう変化するのか。火災を起こらなくするには、どうすればよいか。

 ものの性質や状態をきちんと押さえたうえで文化財を管理し修理する方法を確立しなくてはならない。金堂壁画での取り組みを通してそれが普及することで、文化財防災はより普遍的になっていくと思います。

法隆寺みらいプロジェクト

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プロジェクトのロゴマーク

 朝日新聞社と法隆寺が始める「法隆寺みらいプロジェクト」は、火災で焼損した金堂壁画の一般公開や、境内の防災力強化に取り組み、法隆寺の歴史的、文化的価値を高めることを目指しています。本社がパートナー企業を募り、委員会を構成して資金サポートをするほか、クラウドファンディングなどで広く支援を呼びかける予定です。

 本社はこれまで、さまざまな形で文化財保護に取り組んできました。1980年に落慶した奈良・東大寺の大仏殿昭和大修理に尽力したほか、興福寺の中金堂再建では「国宝 阿修羅展」を開催してサポート。京都では冷泉家の古典籍の調査を支援し、京都古文化保存協会の「京都非公開文化財特別公開」への特別協力も長年続けています。朝日新聞文化財団の文化財保護の助成事業では、国宝「鳥獣人物戯画」などの修理を手がけてきました。

 近年、自然災害の頻発による文化財の被災が相次ぎ、文化財「保護」だけでなく、「防災」の側面からの取り組みも求められています。今後、文化庁とも連携し、シンポジウムや企業フェアを企画するなど、文化財防災への関心をさらに高めてもらう取り組みを進めていきます。

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焼損した壁画の収蔵庫=2025年1月15日、奈良県斑鳩町、白井伸洋撮影

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